Taro MIZUSHIMA

水島太郎

現代脱活乾漆彫刻家。右も左も裏も表もない世界を作りたい 。

東大寺修二会参籠衆処世界童子
I am making works of lacquer and hemp.

境界をテーマに制作。生と死、光と闇、現代と古代、悪と善、戦争と平和などその境目で生きることとは何か。対話や共感を通じて相互理解を促進し、多様性と共存できる世界にしたいと願いを込めて活動しています。文化とは何か、祈りや学び、懺悔や思いが飛び交うこの場所で人々が生きる中にある自分の存在意義、人間に投げかけられた使命、人生の意味、そこに自分を投影して考えることは何か。アートは人生に大変必要であり、大きな手助けになっていると思います。

モノの狭間に宿る感情を探す

水島太郎の作品は、生き物の、その物質の魂の内と外との境界を探すような作業によって作られる。水島太郎は、東大寺修二会に参籠しはじめて18年が経つ(2006年頃より参籠)。修二会の中で、処世界童子という役を果たすにあたり、なんらかの境界を強く意識するようになった。

修二会は古くからの厳しい決まりに則って準備され、執り行われる。様々な行法で構成される修二会の行に、処世界童子として参籠することで観音の世界と人間の世界の境界を垣間見、様々な境界を強く意識するようになった。

格子越しに見える局で祈る女性たち、練行衆の祈り。時に祈る者が観音に見えることもある。祈る側と、祈られる側との逆転に出会う。

祈り、個と他。 同じであったり、異質であったり。 存在と不在の合間に、言葉にできない感覚がある。 扱う素材は軽やかだが、 それらは塗り、削り、砥ぐ時間の中で、強度を持ち確かさを帯びていく。しかし輪郭は決して硬くはない。 曖昧で繊細な物質の境界は、触れようとすればするほど、滲んでいく。 制作自体が祈りとなり、 手を動かすことそのものが、祈る行為になっていく。

人と人のあいだにあるもの。 その境界を確かめようとして、 何度も作業を重ねる。 狭間に宿る感情を掬い上げようと、 繰り返し、境界線をなぞり続ける。 

だが境界は本当にあるのだろうか。 触れようとしたその瞬間に、すでに解け合い、 最初から隔たりなどなかったのかもしれないと思わせる。 この世とあの世の境もまた、 遠くて、近い。 そこには、運命的な気配が満ちている。

彫刻家 水島太郎
東大寺修二会参籠衆処世界童子


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