大村邦男·記
太郎さんこと水島太郎と知り合ってまだ二年にしかならない。しかしその間に驚かされたことが多々ある。まず第一、彼の家系。水島一家は祖父、父、本人と三代に渡る芸術家であること。親子二代はそんなに珍しくはないが、三代になると浅学非才の私には某日本画家一家しか頭に浮かばない。
第二、彼が童子であること。これには少し説明が必要かもしれない。每年三月奈良の華厳宗大本山・東大寺で行われる修二会(通称お水取り)で一番有名な行事、火の付いた松明を二月堂の舞台の上でプンブン振り回す役目の人(これを童子という)を長年に渡って勤めている。そんな芸術家は彼しかいない。
たぶん、第三、これが一番肝心なところだが、彼は漆を使う、漆を使って作品を制作する芸術家である。しかし漆と聞いて多数の人が思い起こす作品とは少々違う。所謂現代美術家が漆を使って造る洗練されたフォルムの作品とは似ても似つかない。むしろ対極にあると言っていい。ここでこの言葉を使うのが適当かどうか分からないが、彼の性根は純粋である。泥水が何層かのフィルターを通して純水になるように、彼は祖父・父親二代の芸術家という稀なフィルターを通して純水(純粋)になった。
恰も仏師のように、否、修行僧のように作品に向かう。水島太郎は「脱活乾漆彫刻家」と自称しているが、それは世を忍ぶ仮の姿、実は修行僧なのだ。故に、彼の生み出す作品はピュアな精神を術佛とさせる。また、それは外見はどのようであれ、内に必ず祷りを秘めている。
和田大象・記
小さな私設美術館の入口でお客様をお迎えするのは等身大の人型ジャコメッティか未開大陸の先住民族の造形かはたまた仏像か。古代から現代、未来への時間。西洋、東洋民族を超越した空問。
それは人類の抽象化された緒神性が生み出す造形といえよう。「初夜上堂」のタイトルのこの作品は、東大寺修二会の行に今から籠る直前の僧の姿である。作家自身が長年童子を動めている。美術に大きなウェイトを占める素材にも極めてオリジナリティがある。
一見、木彫かと思われる。よく見ると機維に乾漆。糞掃衣のごときはろ布をった魂の在り方をビジュアルで訴えかける。今回創作する新作がどのようなテーマ性かは知らないが、この作家のピュアな精神性が万物の精霊から抽出されるに違いない。
彫刻家 水島太郎 Taro Mizushima 2021/10/18 インタビュー
2024/08/12 雕刻家 水島太郎
お水取りの大松明を担ぐ
T4F Artist Interview 0004 Mizushima
SIGNATURE
12.2021
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