中動態

最近、小児科医の冨和先生から「中動態」という言葉を教わりました。

能動でも受動でもなく、“する”と“される”のあいだにある出来事。

その言葉を聞いたとき、

私の制作の在り方はまさに中動的なのではないか、と思いました。

作品は「つくる」というよりも、

素材や時間、空間、祈りとともに「生まれてくる」。

自分が形を与えているようでいて、

同時に形の方から導かれているような感覚。

また、和田萬の和田さんから少しだけ教わった「瞑想」の感覚とも、

この中動態の考えは深くつながっています。

呼吸のように、世界とひとつに溶けていくような瞬間。

「中動派」というのがあるのかは分かりませんが、

もしあるならば──

私はきっと、その中に立っているのだと思います。