この世界は好都合に未完成

最近、制作中の作品を前にしてふと思い出したのが、サカナクションの「怪獣」という曲の中の一節――

「この世界は好都合に未完成」 という言葉。

私の作品づくりも、まさにその感覚の中にあるように思う。

完成を目指して手を動かすのに、完成そのものはどこか手の届かない場所にある。

素材のクセ、光の当たり方、偶然の歪み。

それらが計画通りにはいかないからこそ、作品は生き物のような表情を持ち始める。

秩序立てようとする手と、そこからこぼれ落ちる偶然。

そのせめぎ合いの中に、私の制作はある。

完全でない世界。

だから、手を入れる意味がある。

だから、まだ歩いていける。

だから、未完成でいることが、この世界の好都合なのだと、

あの歌詞に教えられた気がする。

詩:この世界は好都合に未完成

世界は端から崩れて

光の隙間に名もない夢が差し込む

欠けたままの秩序は

風を呼び、水を揺らし

僕らに進む理由を与える

完成しない設計図の上で

誰かの足跡がまたひとつ重なる

それを怪獣と呼ぶのか

それとも未来と呼ぶのか

作品の話を書くとき、よく「完成度」や「完成」という言葉が使われるけれど、

本当は完成しないものだからこそ、人は作り続けるのかもしれない。

そんなことを、今日も作業机の前で思っていました。

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