写真の中の時間に耳を澄ます

父 石根と父の兄
水島弘一作(木の実)
水島弘一と幼い兄弟
産湯

4.23

春。展示の準備を始めるには、まだ少し早いようにも思える季節。
今、秋の回顧展に向けて、父の写真を一枚ずつ見返している。

写っているのは、まだ幼い頃の父。そして、そのそばには祖父の作品。
滑らかな彫刻の肌に、子どもの手がそっと触れている。
百合の花が添えられたその構図は、無言のまま、深く何かを語っているようだった。

別の写真では、着物姿の祖父と、幼い兄弟が海辺に立っている。
岩場の陰影、風に揺れる帽子の紐、祖父の手が子の頭に軽く触れるあの瞬間。
自然の中に身を置きながらも、心はどこか、内なる創造に向かっているように見えた。

さらに小さな命が、洗い桶のようなものの中で眠っている写真もある。
生まれたばかりの、その静けさ。
祖母の手か、誰かの腕に支えられて、目を閉じている小さな顔。
生と時間と、記憶の始まりを、そこに見る。

こうして一枚一枚を眺めると、作品や表現とは別の、もっと根の深い何かが浮かび上がってくる。
父が何を見てきたのか、祖父が何を伝えようとしていたのか。
秋の展示を「記録」ではなく、「対話」にしたいと思うのは、
こうして写真の中から立ち上がってくる無言の問いかけに、耳を澄ませてみたい。
春の光はまだ柔らかく、
けれど今のこの時間が、きっと秋の展示を、静かにかたちづくっていく。

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